| 1994年 |
益子の某中堅作家氏に弟子入り |
| 1995年 |
工房を知人より譲り受けプロとしての活動開始 |
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97年まで益子(栃木県)、笠間(茨城県)の陶芸ギャラリーと年2回の益子大陶器市を中心にオブジェ的な花器や照明など食器以外を中心に作陶する。その間、縄文時代から延々と続く日本陶芸史を学ぶ中、ひと際異彩を放つ中世の茶陶に多大な影響を受ける。以後クラフト的な作品から茶碗中心の作品作りに傾倒する。中世の茶陶に引きつけられ、それが「ドープ文化」の好先例である事に気づく。 |
| 2000年 |
銀座黒田陶苑にて茶碗展(楽焼茶碗を鉛の箱に収めて出品)として結実したものの、茶陶の世界を借りての表現に限界を思い知る。「ドープ陶」の着想が芽生える。 |
| 2003年 |
パイプの作陶を始める。「手づくね」つまりは茶碗の手法でパイプの製作を試み、2本の焼きしめパイプが生まれる。その2本の使い心地、触感、何よりも「お茶を感じる=ドープを感じる」満足感を得る。 |
| 2006年 |
手づくねの一点物からライトなロクロ物へと作品の幅は広がり、電気窯、炭窯、薪窯を駆使してより自由な作陶へと蔓延中。 |
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楽家初代 長次郎(桃山時代に千利休の茶碗を開発し原理主義的な茶陶世界を確立、「RAKU」として現在世界中の陶芸ファンを魅了する)の作品に感銘を受け、学び自身の作風に取り入れる。名の由来でもある。「RAKU」の特徴はあえてロクロを使わず、主に人間の手そのものが作ることにあります。そこから形の多様さ、つまりしなやかさや温かさなどが醸し出されるのです。そのロクロよりもむしろ手づくねを選択していく価値観は、平安時代の王朝貴族たちの美意識に由来していました。 |